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自動思考が知性理性に変わる [レーザーセイリング]

令和6年3月25日(月曜日)

夜中に目が覚めてセドナ。先週からネットで自動思考の止め方の動画を見ていた。3つの方法とは、まず気づき、距離をとり、そしてエレベーター呼吸。これが中々難しいが、ふとセドナメソッドの目的は感情を手放して心を軽くするだけでなく、自動思考を止める方法の一つではないかと思えてきた。

自動思考のエネルギーは何か。まず思考により意識の奥底から感情が沸き上がってくる。それが欲求となり次から次へと思考がまわりだし、さらに感情が増幅される。これが自動運転の原理。セドナメソッドとは感情の解放のテクニック。自分の中の様々な情動や感情、そして欲求を、ペンを落とすイメージで手放す。

これを数年繰り返してきたが、まだ完全ではない。ちょうど自分の頭に網がかかっていて、その網がまとわりついて抜けない感覚。今朝それがスルッと消えた。消えたと言うより自分の頭自体が消えて、思考の網が奥底に落ちて行った感じ。頭を消せばよかったのか。

思考が感情から自由となった。しかし思考は消えない。ただ欲求から解放されて自由を感じている。思考というより知性であり理性。この自由な感じがたまらない。それからエレベーター呼吸をしながら、自分の意識に集中する。

しばらくすると昔自分が医学部受験で悪戦苦闘し、最後の最後に希望実現の方法を行っていた時の、心の内から沸き上がる晴れ晴れとした感覚が蘇ってきた。ああ、そうだった。勉強の合間にこの魂の沈潜感覚を持ち続け、それが現実化したのだった。

体全体が内側から活性化する。いつまで続けられるだろうか。1時間この感覚を味わい一旦普通に戻ってから、再びこの感覚を呼び起こす。行けそう。それで再びフトンに入り晴れ晴れとした気持ちで眠る。

朝、体調は良い。久しぶりに体が軽く感じる。身支度を済ませて朝食をとり出勤。電車の中でも同じ感覚を呼び起こす。晴れ晴れとした良い気持ち。眠りとは違って意識はむしろ清明。そうこうする内に到着。歩きながらもチャレンジ。気持ち良い。午前中はひま。その間に書類書き。

この出来事は久しぶりに良いことであったが、それにこだわることもない。自然体。とりあえず、ブログにメモル。
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I Will Servive で涙が止まらない [レーザーセイリング]

令和6年3月10日(日)

朝、苦悩の中で目が覚める。全身の血の気が引きわなわなと震える。夜中に瞑想して気分よく眠られたはず。

和歌山SCで自分の艇を探す。SCはいつもと違う。岬と島の間がコンクリート打ちの巨大バースになっている。そこには平置きディンギーが無数にある。レーザー探索諦めて、奈良医大ヨット部のJ24の元へ。しかしそのバース自体が無い。はるか桟橋の向こうの仮想の島のトンネルを抜ける。誰かが移動させたのだろうか。しかしそこには自分所有の仮想の30ftクルーザーが朽ちている。これは引き上げて修理が必要。しかし何か変だと引き返す。

元のディンギーバースにもどると、そこは高校生がごった返し、不思議なことに外国のビキニのお嬢さん達が闊歩。レーザーは艇庫の中かと、薄暗い3段重ねのラックを探す。しかし無い。ロッカーにセンターとラ―ダ―あるはず。しかしその木製のロッカーは朽ちている。自分は焦りまくる。もう時間が無い。そこで突然、ああ、以前こんな夢で目が覚めた・・で、目が覚めた。

体はガタガタ。全身が硬直。そこでセドナ。執着が原因とひらめく。1月最初から和歌山の自艇とJ24の様子を見に行くつもりで、寒さと体調で断念。いや、それを言い訳にして行かなかった。それがレーザーに対する自分の執念。和歌山SCの執念が折り重なり、今日が学生とスケジュール合わせで行かざるおえなくなり爆発した。

体調は悪い。出勤時の駅までの下り道は問題ないが、仕事が終わって高台の自宅に上がる道は、下肢の脱力と息苦しさで苦悶する。心臓が半分空回り。大動脈閉鎖不全で大動脈弁から左室に血液は逆流。その逆流ジェットのデュオと言う拍動が聞こえる。その静かになると聞こえる拍動は、メンタルを傷めつけ心臓神経症も発症。

何とかベッドから起き出して身支度をして朝食。家内には大丈夫を装うが、まだ全身が痛い。ノアまでアンちゃんと散歩して自宅まで上がる。不要な荷物を置いて和歌山SCへ出発。

京奈和を走りながらセドナ。何故執着したのか。それは深い。単純ではない。しがしやがてその姿が鮮明となり、そして手放せた。まさに「心身の神癒」が必要。自炊して読み上げソフトで作成したmp3ファイルを聴きながら1時間の運転で心は軽くなる。

何事もこれで良いと心底思えてきた。自分はブドウの枝。自分の不要な枝を刈られている。それは良い実を収穫するため。SCに到着して自艇と大学スナイプとJ24を見て回る。海洋丸も特に損傷無い。ホットして学生を待つ。学生だけで整備と掃除を指示し、海南寮で昼食してすぐ帰宅。

夕食前には心身ともにリラックス。焼酎1合お湯割りとスジ肉コンニャクとみそ汁。心と体に染み渡る。入浴後は気になっていたビリー・ジョエルの「素顔のままで」の楽譜探し。そこでI Will Servive の音楽動画を見る。

1970年代のグロリア・ゲイナーの曲。自然と涙が出だした。悲しい曲想であるがバイタリティーを感じる。何故だろうと、歌詞の和訳をネットで調べる。

最初は怖かったの、茫然自失ってやつね
あなたを失ったら生きていけないって思ってたから
でも夜毎考えてみたの、あなたのしてきたことを
うまくやる方法を覚えて、私は強くなったから

ドアを開けて出て行って
あっちへ行って、お呼びじゃないの
別れで傷つけてきたのはあなたの方よ
私がショックで死んでしまうかもって考えなかったの

心が粉々にならないように、物凄い力が必要だったわ
壊れたハートを治すのに一生懸命だったの
自分を憐れだけの夜が何度も続いた
泣いて泣いて、ようやく顔を上げることができたの
あなたにも分かるでしょ、新しい私が
もう私は、あなたに恋する小さな女の子ではないの

ダメ、ダメ、私は生き延びるわ
愛する力がある限り、私は生きていくの
生きること、愛することに人生を捧げてきたの
だから、私は生き延びてみせるわ

心が粉々my broken heart そしてI Will Serviveが心にしみる。恋する少女の心とは、自分にとってレーザーに執着する心。動かない体と病んだメンタルが爆発した日だった。執着を手放す。

さあ、再出発。何とかなる。確信する。たとえbroken heartでも。
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