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新型セドナ [レーザーセイリング]

11月10日火曜日
 姉の葬儀も終わり全日本まで3週間となり、みっちりトレーニングの予定が体調もメンタルもガタガタ。セドナを繰り返すが回復の兆しが見えない。せっかくの休日で和歌山の波の練習には絶好の西の8mの風だったが無念の断念。今は安静が必要と家でごろごろ。それが悪かったようで昼間にうとうとしてしまい、夜中に3回目が覚め寝付けないサイクルでさらにガタガタ。悪循環を断ち切るため橿原ぽかぽか温泉のサウナに。月曜日はそこそこ眠れたが朝はスッキリせず、夕食後6時半に横になり火曜日早朝1時半に目が覚める。じっくりセドナ。

 セドナを続けて来たがどうしても完全には感情を手放せないでいる。その残った感情の欠片が知らぬ間に増殖してしまい、再びセドナの繰り返し。ふと、完全に手放す必要はないのではとの考えが浮かんできた。感情は人間にとって本来必要なもの。進化の過程で身につけた精神機能のはず。問題は感情に振り回され現実生活に障害を起こしていること。それは何故か。感情が自動能を持ちコントロール出来なかったり、複数の感情どうしが複雑に絡み合い、ちょっとした感情の隆起が自分の行動に大いなる影響を与えていること。

 薄皮一枚残して感情を手放す独自開発の新型セドナを試す。無気力を一皮残して手放す。悲しみを一皮残して手放す。それは自分のメンタルに影響のない一皮のみ。恐怖を手放す。これもメンタルに不快感や避けようとしない一皮のみ。執着。これも一皮のみ。怒り。これ全く影響のない一皮のみ。プライドも一皮のみ。勇気も一皮のみ。受容も一皮のみ。平安も一皮のみ。これでどうなったか。自分自身が薄皮一枚のベールに包まれた状態。しかも自由自在の静謐な意識。しかもことさらそれを維持する必要もない。本来のセドナ境地に達したのかも。

 すると感情が見えて来た。それはこの薄皮の一部が数層厚みを重ねた部分。医学的になるが心房細動の原理で、その構造が自律能いわゆる自動能を持たせる。そしてその重層部分が複数出来るとそれぞれが関連しあい、コントロール不能な状態となる。一枚のベール自体は神経伝達の構造であり、感情自体ではないような気がする。常に一枚の薄皮を意識する。すると感情の重層、痂疲いわゆるカサブタが生じたのがはっきり分かり、新型セドナで自然に消すことができる。

 恐怖の一皮を試してみる。思考実験。グランドキャニオン。そこにタイトロープ。バランス棒を握ってそのロープ中央に立つ。下をのぞくが見えない。〇玉がキューと縮み上がる。前に一歩も歩けない。体が完全に硬直。恐怖と言う感情の重層である。ここで新型セドナで一皮残して恐怖を手放す。それほど時間はかからない。完全に手放すのではない。体が動けるだけ、一皮のみあえて残す。脱力するも心臓はドキドキ。しかし動くことはできる。まず一歩。無事に足を出せる。さらに一歩。大丈夫。続けていく。無事渡りきれた。新型を試して気がつくと1時間。あっという間。気分は最高に軽い。自分の息よりも内側に父なる神を感じながら安らかに入眠。

 朝は全然違う。すぐに一皮のセドナを試みる。薄いベールの中に自分自身を感じる。足腰が軽い。お腹も空かない。さっと起きて久しぶりに橿原神宮前まで歩く。腰が痛む。しかし痛みを感じるがそれに対する不快な感情や不安感は全くない。感情を手放したわけでもない。そして自然治癒力を今は感じる。そうだったのかの心境。感情がそれを邪魔していた。

 本来生まれながらにして人間は薄い感情のベール一枚に覆われいるのが自然。おそらく生まれた時はその状態で成長に伴い感情のベールの上に感情の重層ができてしまい、大人になった時はそれは感情の厚い殻となっている。痛みを感じた瞬間、感情の厚い殻が邪魔をして正常な自然治癒力が働かない。むしろ感情がさらに厚みを増し身動きできない状態になる。感情の殻を引きはがしベール一枚にする。すると自分自身は全く意識せずに治癒力が動き出すのが分かる。

 自然治癒は神経を介する部分がある。痛みの原因があり細胞レベルで炎症反応が起こる。その刺激が神経を通じて中枢神経に達する。それが心の領域に達して不快感や恐怖や不安の感情を引き起こす。そこで感情のレベルがスムーズであれば、神経を介して下降的に治癒の働きが伝達される。神経を介しての働きは時間的にすみやかであり、局所に対して限定的に作用することが特長である。つまり副作用が起こらない。ここで感情に厚い殻が出来ていては感情レベルで足ふみするばかりで下降的治癒作用がすすまない。そのため局所外からのアプローチ治療が必要で副作用が起こりえる。感情が薄いベール状態であればその作用がスムーズですみやかに副作用なく治癒する。

 朝の出勤で見える景色が微妙に違う。今日は昼から西成署の検診で朝の診療前に一仕事。シャッターをあげる時の引っかけの調整。急いで済ますがむしろ悪化。昼休みに改良として診療開始。やや混雑。終わってすぐコーナンへタッピングネジを買いに。大体シャッターは形が出来てあとはパネルを張り合わせるだけの状態で検診へ。終わって書類整理で時間がかかり、シャッターは明日。すぐ帰路に。

 阿倍野駅に着いて朝の景色の違いを再び感じる。女性が皆、綺麗に見える。マスクで口元が見えないからさらに。これも新型セドナの影響か。もちろん美人を見た時の感情は一皮残して手放す。女性に対する感情の殻がむけたのか。他に感じの変化は周りの景色のリアル感が違う。朝感じたのはこれだろう。さあこれからが楽しみ。新型セドナを続けよう。
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